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佐賀地方裁判所 昭和37年(行)1号 判決 1964年4月09日

原告 中川千代

輔佐人 中川廉一

被告 厚生大臣 佐賀県知事

訴訟代理人 井上俊秀 外四名

主文

被告佐賀県知事が昭和三五年一月二五日付引佐却第一二二号を以つて原告の引揚者給付金請求を却下した処分はこれを取り消す。

原告の被告厚生大臣に対する請求はこれを棄却する。

訴訟費用は、原告と被告佐賀県知事との間においては被告佐賀県知事の負担とし、原告と被告厚生大臣との間においては原告の負担とする。

事実

(原告の申立)

原告は、

被告佐賀県知事に対しては主文第一項同旨並びに訴訟費用は同被告の負担とするとの判決を求め、

被告厚生大臣に対しては「被告厚生大臣が昭和三七年五月三〇日付厚生省発援第九八号を以て、原告の不服申立を棄却した裁決はこれを取り消す、訴訟費用は被告厚生大臣の負担とする」との判決を求めた。

(請求の趣旨に対する被告等の答弁)

被告佐賀県知事の指定代理人は原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする、との判決を求め、

被告厚生大臣の指定代理人は、本案前の答弁として「原告の被告厚生大臣に対する訴はこれを却下する、訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、本案の答弁として、主文第二項同旨並びに訴訟費用は原告の負担とする、との判決を求めた。

(原告の請求原因)

原告は次の通り述べた。

一、原告は昭和三三年一一月八日被告佐賀県知事(以下単に知事と略称する)に対し、引揚者給付金等支給法(昭和三二年五月一七日法律第一〇九号)二条一項三号に該当する者として引揚者給付金の給付を申請したが、昭和三五年一月二五日付引佐却第一二二号を以て同年二月一八日却下通知を受けた。

二、そこで原告は同年三月二一日被告厚生大臣(以下単に大臣と略称する)に対し右却下処分に対する不服の申立をしたが、昭和三七年五月三〇日付厚生省発援第九八号を以て右不服申立を棄却する旨の裁決を受け、右裁決書は同年七月一五日受領した。

三、しかし乍ら被告知事のなした申請却下処分(以下単に原処分と略称する)及び被告厚生大臣のなした不服申立棄却裁決(以下単に裁決と略称する)はいずれも違法であつて取り消されるべきである。即ち、

(一)  原処分の違法

原告は昭和八年五月、佐賀県挙行の産婆試験に合格し、当時の海外移住の国策に副つて同年八月満洲国に単身渡航、爾来十有余年助産婦として病院勤務をなしその後独立開業して生活を営んでいたが、昭和二〇年三月母成富ヨシ及び甥成富信義の病気看護の為急拠本邦に渡来した。しかしこれは一時的な旅行であり、同務の終り次第再び帰満するつもりであつたが、折柄戦争末期の緊迫した事態にあつたため交通制限を受けて意の如くならず機会を待つ中に終戦を迎えたものである。従つて原告は前記法律(以下単に法と略称する)二条一項三号にいわゆる「昭和二〇年八月一五日まで引き続き六ケ月以上外地に生活の本拠を有していた者で、本邦滞在中、終戦によつてその生活の本拠を有していた外地へもどることができなくなつたもの」に該ること明らかである。

しかるに被告知事は次の四点を根拠に「法にいう生活の本拠が終戦まで外地にあつたとは認められない」として、前記の如く原告の申請を却下したのであつてこれは事実の認定を誤つたものというほかない。

I 原告は昭和八年八月単身外地に渡航していたため外地で生活関係のあつた家族が終戦時外地に居住していたという事実がないこと。

II 旅行証明書等本邦への渡航が一時的なものであつたことを立証できる資料がないこと。

III 本邦渡航理由の対象となつた成富信義は原告の二親等以外であること。

IV 母ヨシの病気についてはその当時作成された資料がないこと。

(二)  裁決の違法

原告の不服申立を棄却した被告大臣の裁決の理由は「原告は、母及び甥の病気看護のため、昭和二〇年三月満洲から帰国したものと認められる。しかして原告の帰国後終戦までの居住、生活関係等の諸状況等よりみて、同人の生活の本拠は本邦に移つたものと認められる。従つて法二条一項に規定する引揚者には該らない」というにある。

(1) しかるところ、被告大臣は右理由の前段において原処分の理由の誤りを明らかにし乍ら、新たに後段の理由を設けて、結局原処分を維持したものであつて、これは違法である。

(2) のみならず、右理由後段の如き認定自体誤りといわねばならない。けだし、右理由は畢竟、原告が再び帰満しなかつたが故に生活の本拠も本邦に移つたものと認めるというに帰するものと解せられるが、既に述べた如く、原告は最後まで帰満の意思を捨てなかつたのであり、ただ戦争末期の極度の交通制限という不可抗力のため乗船券(関釜連絡船の)をついに入手し得なかつたに過ぎず、このような事情を考慮せず、単に原告が結局は帰満しなかつたという一事をとらえてその生活の本拠が本邦に移つたものと認定するのは不当というほかないからである。

(被告佐賀県知事の答弁並びに主張)

被告知事指定代理人は次の通り述べた。

一、答弁として、

原告主張の請求原因事実中、一項並びに三項(一)のうち原告が昭和八年満洲に単身渡航し、爾来十有余年助産婦として病院に勤務し、その後独立開業して生活中、昭和二〇年三月家族の病気看護のため本邦に渡来したこと、原告が本邦において終戦を迎えたこと、被告知事がなした申請却下処分の理由は「法にいう生活の本拠が終戦時まで外地にあつたとは認められない」ということであつたことは認める。右理由の判定根拠が原告主張の四点であることは否認する。原告が法二条一項三号に該るとの主張並びに被告知事のなした却下処分が違法であるとの主張はいずれも争う。その余の事実はいずれも知らない。

二、被告知事の主張として、

(一)  被告知事のなした本件却下処分は適法である。

法における「引揚者」とは法二条一項各号に規定するところであるが、原告の場合は同項三号に該当するか否かの認定にかかるわけである。ところで本法による引揚者給付金の受給権の認定は本来厚生大臣の権限に属し、各都道府県知事は同大臣より一部その権限の委任を受けているものであるところ、法にいう「本邦滞在中」なる概念が極めて抽象的であるので都道府県知事は、原則として、本来の認定権者である厚生大臣が法の趣旨に則り制定した具体的判定基準によつて認定するよう同大臣から指示を受けているのである。

右基準によれば、原告の如き場合、即ち、冠婚葬祭、病気見舞又は出征見送りのため本邦に来ていた者のうち、そのものが外地における官公署、会社等に在職していないものであるときの判定としては、昭和二〇年二月一五日以後、その者が当該家族の全部とともに本邦に渡航した場合(単身者が本邦に渡航した場合を含む)は原則として本邦滞在とは認められないが、次に掲げる何れかの書類が存するときに限り「本邦滞在中」に該当すると認定されるのである。

(イ) 在外公館、警察署その他の官公署において、昭和二〇年二月一五日以後、同年八月一五日以前に作成された旅行証明書、滞在延期証明書等で当該旅行滞在の理由が明記された書類。

(ロ) 本邦における居住が生活環境及び生計状況から判断して真に臨時的なものであり、かつ外地において生活の本拠とするために十分な条件を有する居住場所及び経済的基盤があつたことを明らかに証しうる書類。

原告について、右判定基準により検討したところ、前記(イ)の旅行証明書等は何ら存しない。

次に(ロ)に該当するものの有無についてみるに、原告は本邦渡航後終戦時まで外地に生活の本拠が存続していた事実を立証する資料として郵政貯金預り証(甲第一〇号証)をあげた。しかし乍ら、右資料によつては原告名義の郵政貯金通帳を終戦後、原告の姉婿水木孝行が撫順市日僑善後連絡処の主任に預け、その預り証を徴し持ち帰つたことが認められるのみであり、右の事実をもつて直ちに原告の生活の本拠が外地に存続していたと断定することはできない。そのほか原告が法二条一項三号に該当するとの事実を具体的に立証する資料がないので、被告知事は原告が昭和二〇年三月本邦に帰国したものと認め、従つて法にいう「引揚者」に該当しないものと認定し、本件却下処分をしたものである。

(二)  昭和三五年二月一二日付佐賀県厚生部援護課係員岡武次から原告あての事務連絡文書(甲第一号証)には、原告が被告知事のなした却下処分の理由であると主張する四項目が記載されているが、これは単に不服申立書の作成要領を示すため便宜上、原告の意を汲んで岡が却下処分の理由となるものを恣意に忖度して記載したに過ぎず、被告知事の却下処分の理由を正確に表現したものではない。

(被告厚生大臣の答弁並びに主張)

被告厚生大臣指定代理人は次の通り述べた。

一、本案前の主張として、

原告の被告大臣に対する裁決取消の訴は、畢竟原処分の違法を理由とするもので行政事件訴訟法一〇条二項の規定に牴触するから、不適法である。

二、請求原因に対する答弁として、

原告主張の請求原因事実中一項、二項並びに三項(一)のうち原告が昭和八年満洲に単身渡航し、爾来十有余年助産婦として病院勤務し、その後独立開業して生活中、昭和二〇年三月家族の病気看護のため本邦に渡来したこと、原告が本邦において終戦を迎えたこと、被告知事のなした申請却下処分の理由は「法にいう生活の根拠が終戦時まで外地にあつたとは認められない」ということであつたことは認める。その余の事実は知らない。三項(二)のうち被告大臣の裁決の理由が原告主張の通りであることは認める。右理由の前段において原処分の理由の誤りを明らかにし乍ら、その後段に新たな理由を設けたとの原告の主張は否認する。その余の事実は知らない。裁決の違法に関する原告の主張は争う。

三、被告大臣の主張として、

被告大臣のなした裁決は、手続的にも内容的にも違法の廉はない。被告大臣は、原処分を覆すに足る証拠が存しないので右処分を相当と認め、原処分に対する原告の不服申立を棄却したものであり、裁決書においてやや具体的にその理由を記載したが、根本的には原処分と同一の理由によるものである。その理由の前段において「原告が母及び甥の病気看護のため、本邦に渡航帰国したこと」を認めたが、だからといつて原告の「本邦滞在」を認めた趣旨ではなく、原処分がその理由としているように「生活の本拠が外地に存続していたとは認められない」のでその帰結として、右のように認められるというのであり、原告の主張するように原処分の理由を否定したものではない。又、理由の後段は以上に述べた趣旨の前段理由を前提として、原告の帰国後の状況等より判断し、法の要求する「終戦前六ケ月間の生活の本拠を外地に有したまま本邦に滞在中、終戦となつて外地に帰ることができなくなつた事実」が明らかにされない以上、原告の生活の本拠は同人の意思の如何を問わず本邦に移つたものと認めざるをえないという趣旨であり、前段理由と相関連するもので、原告の主張するように原処分の理由とは異なる新たな理由を設けたものではない。

(証拠)<省略>

理由

第一、被告佐賀県知事の関係

一、(処分の存在)

原告が昭和三三年一一月八日被告知事に対し、法二条一項三号にいわゆる「昭和二〇年八月一五日まで引き続き六箇月以上外地に生活の本拠を有していた者で、本邦に滞在中、終戦によつてその生活の本拠を有していた外地へもどることができなくなつたもの」に該当する者として引揚者給付金の給付を申請したが、昭和三五年一月二五日付引佐却第一二二号を以て却下通知を受けたことは当事者間に争いない。

二、(処分の違法性)

(一)  被告知事のなした右却下処分の理由が「法にいう生活の本拠が終戦時まで外地にあつたとは認められない」というにあつたことは当事者間に争いない。

(二)  そこで被告知事が右のように判定したことの当否を検討してみよう。

(1) 原告が昭和八年八月満洲に単身渡航し、爾来約一〇年間助産婦として病院勤務をなし、その後独立開業して生活を営んでいたが、昭和二〇年三月母成富ヨシ及び甥成富信義の病気看護の為、本邦に渡来したこと、原告が本邦において終戦を迎えたことは被告知事もこれを認めるところである。しかして原告本人尋問の結果によれば、原告は昭和一八年二月頃より撫順市東五条通り七番地に居住し、右のように独立して助産婦の仕事に従事していたことが認められる。

右事実によれば、原告は、少なくとも本邦に渡来する直前までは、その生活の本拠を外地に有していたこと明らかというべきであるから、その後原告の生活の本拠が本邦に移つたものと認むべきか否かが問題となる。

(2) 被告知事のなした申請却下処分の理由が冒頭に掲記したところに尽きることは成立に争いのない甲第二号証(引揚者給付金却下通知書)の記載上明らかである(尤も成立に争いのない甲第一号証の記載と証人岡武次の証言(第一、二回)によれば、被告知事が右のように判定した主たる根拠は原告主張の請求原因三の(一)末項記載の四点にあつたことを推認できるが、それは内部的意思決定の動機に過ぎず、処分の理由自体は前記却下通知書に表示されたところのみにより理解すべきである)が、右理由は抽象的に過ぎ、原告の本邦渡航が一時的のものであつたことを否定し、従つてその時既に原告の生活の本拠は本邦に移つたものとする趣旨か(右に推認し得る被告知事の判定根拠からすれば以上のように解せられる)、当初は一時的な意思でなされたが、本邦における原告の生活状況に照し、その後原告の生活の本拠が本邦に移つたものとする趣旨か必ずしも明らかでない。

よつて以下順次考察してみる。

(3) 原告の存在並びに成立につき争いのない乙第二号証(写)の記載によれば、被告知事が被告大臣の委任に基き、引揚者給付金の受給権者を認定するに当つては、被告大臣より通達を以て、被告知事の主張するような内容を含む判定基準が示されていることが認められ、右判定基準は、本法の立法趣旨並びに画一、公平を旨とする行政運営の在り方に照して、概ね妥当なものと考えられるが、もとより唯一絶対のものではなく、終戦当時官公署、会社等に在職していた者が比較的その旨の証明書類を得やすいのに比し、然らざる者についてはこれが困難である点にかんがみ、右基準の運用に当つては、証明書類は直接証拠たるべきもののみを重視することなく、間接証拠たるべきものにも十分意を用い、又書類がなくても信頼するに足りる人証の存するときは一概にこれを排斥せずして採り、以て個々の事例における具体的適正を図るべきである。

(4) そこで先ず、原告の本邦渡航はその生活の本拠も本邦に移す意味のものでなかつたか、換言すればそれは一時的なものであつたか否かについてみるに、成立に争いのない甲第一〇号証の記載によれば、訴外水木孝行は終戦後、原告名義の郵政貯金通帳(預金額二六〇円)を撫順市日僑善後連絡処の主任に預けてその預り証を徴し、本邦に引き揚げるに際してこれを持ち帰つたことが認められ、右事実によれば、日時がいつであつたかはともかくとして、少なくとも、原告は預金額二六〇円の郵政貯金通帳を右水木孝行に預けていたことは明らかである。しかして右預金額の当時における価値の大きさを勘案すれば、原告がこれの払戻を受けていない一事よりしても、本邦渡航が永久的の意思を以てなされたものでないことを窺い知られるところであり、この事実に加え、原告の本邦渡航の目的が母と甥の病気看護であつたという当事者間に争いない事実を併せ考えると、これらの事実と照応して何ら矛盾するところのない甲第四ないし一〇号証、一四ないし一六号証(第一四、一六号証の原本の存在並びに成立、その余の各証の成立についてはいずれも当事者間に争いがない)の各記載並びに証人水木孝行の証言及び原告本人の供述を措信するに足りるものとしても強ち不当でないというべきである。しかしてこれらの証拠を総合すれば、原告は撫順市において前記の如く助産婦として独立の生計を営んでいたところ、本邦に居住する父からの便りで、母ヨシが病気療養中の上、甥信義が盲腸炎で入院、手術を受けなければならなくなつたため、他に看護する者とてない関係上、帰つてくるよう求められたので、期間を二箇月とする旅行証明書を得、用務の終り次第再び帰満するつもりで、留守中のことは同市内に居住していた実姉水木キヨ夫婦に頼み、身の回り品のみを携行して急遽本邦に渡航したものであることが認められ、右認定に反する証拠はない。

(5) 次に、本邦渡航後原告の生活の本拠が本邦に移つたか否かにつき考えてみる。

原告が本邦において終戦を迎えたものであることは当事者間に争いない。従つて原告はその自陳する二箇月の旅行期限を超え、数箇月に亘つて本邦で生活していたことになる。しかして当時既に戦争末期で戦況は緊迫した状態にあり、本邦における交通事情もさることながら、日本海における海路輸送は船舶の払底と交戦相手国からの攻撃を受ける危険と相俟つて極めて困難な状況にあつたことは今日においては殆んど公知の事実であり、原告において当時右の事情を知悉していたとすれば、原告が当時未婚の女性であつたこと、父母が老令であつたこと、満洲における住居、家財の管理については近辺に住む姉夫婦に任せてあつたこと等の諸事情を併せ考え、原告としてはもはや右のような危険を冒してまで帰満することは断念し、父母の許に身を落ち着けることに意を決したのではないかと推測できないことはない。いなむしろそのようにみる方が常識に合するというべきであろう。

しかし乍ら、戦時の通例とはいえ、戦況の詳細が必ずしも一般国民に知らされていなかつた当時を顧みれば果して直ちに右のように推論できるかは疑問とせねばならない。しかして前述した当時の交通事情からして、原告にたとえ帰満の意思があつても客観情勢からしてそれが果されなかつたであろうことは十分察し得られるのであるから、原告の本邦における居住、生活関係を調べてみて、原告が帰満の意思を放棄したことにつき特段の事情が認められない以上、原告の生活の本拠が本邦に移つたものとなすのは妥当でない。しかして右特段の事情については証拠上何らみるべきものはない。

(6) 以上の次第で、原告の生活の本拠が終戦時までに本邦に移つたものとは認められないのであるから、依然として外地にあつたものというべきである。従つて原告は法二条一項三号にいわゆる「昭和二〇年八月一五日まで引き続き六箇月以上外地に生活の本拠を有していた者で、本邦に滞在中終戦によつてその生活の本拠を有していた外地へもどることができなくなつたもの」に該当し、引揚者給付金を受ける権利ある者といわなければならない。

(三)  しかるにこの点の認定を誤り、原告のなした右引揚者給付金の給付申請を却下した被告知事の処分は違法である。

三、(結論)

従つて被告知事のなした却下処分の取消を求める原告の本訴請求は理由があるものといわねばならない。

第二、被告厚生大臣の関係

一、(本訴の適法性)

被告大臣は、原告の被告大臣に対する裁決取消の訴は畢竟原処分の違法性を理由とするものであるから、行政事件訴訟法一〇条二項に照して不適法である、と主張するが、原告が裁決の違法事由として主張するところは、裁決が原処分と異る理由を以てこれを維持したとする点及びその理由となつた事実認定を誤りとする点にあり、前者はその当否はしばらく措くとして、一応手続上の違法を主張しているものと認められるのみならず、前記条項は取消訴訟における違法事由の主張の制限を規定するのみで、訴の要件を規定したものではないと解すべきであるから被告大臣の前記主張は直ちには採り難い。

二、(裁決の存在)

原告が、昭和三五年三月二一日被告大臣に対し、被告知事のなした前記申請却下処分に対する不服の申立をなしたが、昭和三七年五月三〇日付厚生省発援第九八号を以て右不服申立を棄却する旨の裁決を受け、右裁決書を同年七月一五日受領したことは当事者間に争いない。

三、(裁決手続の適法性)

原告は、裁決が原処分と異る理由を以てこれを維持するのは違法である、と主張するが失当である。けだし、後述するように、本件においては被告大臣のなした裁決の理由が被告知事のなした原処分のそれと異るとは認められないのみならず、仮りに両者が別異だとしても、行政不服申立制度は一面において国民の権利利益の保護、救済をはかるとともに、他面で行政の客観的な適正を確保する手段としての意義をもつのであつて、理由を異にせよ行政目的に照して結局原処分を相当とするときはこれを維持すべきは当然であり、これによつて国民も格別不利益を被ることはないというべきだからである。

四、(原告の主張の制限)

次に原告は裁決の違法事由として、右裁決理由となつた事実認定の誤りを主張するが、さきに説示するところがあつたように原処分の理由は「法にいう生活の本拠が終戦時まで外地にあつたとは認められない」というに尽きるのであり、他方裁決の理由は「原告は母及び甥の病気看護のため、昭和二〇年三月満洲から帰国したものと認められる。しかして原告の帰国後、終戦までの居住、生活関係等の諸状況等よりみて、同人の生活の本拠は本邦に移つたものと認められる。従つて法二条一項に規定する引揚者には該らない」というにあつて(この点は当事者間に争いない)、彼此対比するに後者が前者よりやや具体的であることは認められても両者が別異のものとはいえず、原告の前記主張は結局原処分の事実認定の誤りを主張するのと同一に帰する。そうだとすれば、行政事件訴訟法一〇条二項により、本件裁決取消の訴においては右主張は許されない。

五、(結論)

以上の次第で被告大臣のなした裁決の取消を求める原告の本訴請求は理由のないものといわざるを得ない。

第三、総括

よつて原告の被告知事に対する請求は認容し、被告大臣に対する請求は棄却すべきであるから、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 弥富春吉 佐藤安弘 岡田春夫)

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